第2511号 2002年11月18日

Vol.17 No.10 for Students & Residents

医学生・研修医版 2002. Nov


患者と語る!
医療が変わる!

李 啓充氏
(医師/作家 ボストン在住)

インタビュー

聞き手:駒沢伸泰さん
(大阪大学医学部・3年)


 「患者本位の医療」,そんな言葉が語られて久しい。ところが,巷にはむしろ「医療不信」という言葉が徘徊し,患者と医療者の距離はいまも遠いのが日本の医療の現状だ。患者-医師間にはどのような問題があり,何が日本の医療をおかしくしているのか?
 この夏から秋にかけて,このような問いに答える2つの書籍が発行され,話題となっている。JAMA(米国医師会誌)の傑作エッセイ集『医者が心をひらくとき』(医学書院)と『阪大医学生が書いたやさしい「がん」の教科書』(PHP研究所)だ。本紙では,医学部3年生ながら『やさしい「がん」の教科書』を執筆した駒沢伸泰さんに,『医者が心をひらくとき』の訳者,李啓充氏(前ハーバード大学医学部助教授,現在作家として活躍中)へ「日本の医療をよくするために何が必要か」をインタビューしていただいた。


■患者・医師それぞれが持つ物語

私たちが本を書いたわけ

駒沢  最近,李先生が翻訳された『医者が心をひらくとき(上・下)』やご著書の『アメリカ医療の光と影』(医学書院刊)を興味深く読ませていただきました。
 私も,駒沢さんがお書きになった『阪大医学生が書いたやさしい「がん」の教科書』を読ませていただきました。非常にわかりやすく書かれた本だと思います。私がいちばん感動したのは「あとがき」だったのですが,お母様を癌で亡くされて医師になろうと決意されたということ,それだけでなく,まるで母の敵討ちのように癌の研究を始められて,患者さんに癌をよりよく理解してもらおうと思うに至ったという気概に感服しました。
 お母様が亡くなったことはショックだったと思いますが,それからこの本に至るまでにはどのような経緯があったのですか。
駒沢 母が病気になる前には,法律学をやろうと思っていました。司法で,人の権利を守りたいという思いがありまして,母親が亡くなってからも,半年ぐらい迷っていたのですが,結局医師になる決意をし,1年浪人して医学部に入りました。
 本を書こうと思ったのは,いつ頃で,どんなことがあったのですか。
駒沢 1年生の時にアーリー・クリニカル・エクスポージャー(医学部入学の初期の段階に臨床的な経験をさせる実習)がありました。その時に,癌のターミナルの患者さんで,教授も「患者学の手本だ」と言われるような非常にしっかりした方とお会いしました。その方との交流の中から,やはり医師と患者の間には絶対的な知識の差というか,情報の非対称性があり,それがお互いのコミュニケーションの上で誤解を生み出してしまっているのではないかと考えるようになりました。
 そこで,今の自分にできることは何かと考えた時に,患者の遺族であり,かつ医学生として医療者とさまざまな接点を持つ立場にいる自分が,医師と患者の橋渡しになるようなことができないかと思ったことが,本を出版しようと考えたきっかけです。
 実は,私が医療事故防止の分野でいろいろなものを書くようになった理由の1つに,自分の母親の医療過誤体験がありました。初めは,そういうことには一切触れずに「週刊医学界新聞」に連載することになったのですが,本にまとめる時に,メッセージをよりよく伝えるためには母のことを語ったほうがいいのかなと思いまして,編集の方と何度も相談しながら,自分の体験を加筆しました(『市場原理に揺れるアメリカの医療』および『アメリカ医療の光と影』)。
 ですから,駒沢さんがお母様のことでいろいろなことを思われる,その気持ちはよくわかります。

それぞれが見出した「医療の意味」が伝わってくる

 さまざまな人が,それぞれの物語を抱えながら,その人だけの人生を送っているわけですが,医者と患者の出会いの中で,時々そのことが忘れられてしまっているのではないかと思うことがあります。病名がついて,診療が始まって,例えば待機手術などでは1人ひとりの患者さんがルーティンになってしまっていることが,ややもするとあると思うんですね。
 1人ひとりにそれぞれの人生があり,どんな患者さんもその患者さんだけの物語を持っているわけです。今回私が訳しました『医者が心をひらくとき』の原書を私が読んだのは,去年の2月から3月にかけてでしたが,100の物語のどれもが感動的だったので,しばらくその感動の余韻が頭の中に響き続けました。それで,実は翻訳は嫌いなのですが,やってみようということになりました。感想はいかがでしたか?
駒沢 米国の医療というと,「市場原理下の医療」をどうしてもイメージしてしまいます。李先生のご著書でも描かれているように,そのような側面も事実としてあると思うのです。ところが,この本のエッセイに登場する医師たちの言葉は,ユーモアなども含めて非常に人間的であり,そしてそれらは自然なやりとりとして,日常の臨床場面の至るところに散りばめられています。
駒沢 市場原理に呑みこまれていきそうなアメリカ医療界の流れの中にありながらも,この本に登場する医師たちは,患者とのやりとりを最も大切なものと捉え,そこにこそ医療の意味を見出そうとしています。驚きも感じるようなところもありましたが,非常に温かみを感じるような読書体験でもありました。
 『市場原理に揺れるアメリカの医療』の「あとがき」に,医療というのは人間の営みの中でも最も人間的なものだが,日本の医療には,人間の顔をした医療が欠けているのではないかということを書きました。そのようなこともあり,人間の顔をした医療というのがどういうものか,『医者が心をひらくとき』を通じて読者に知ってもらえるのではないかと思い,重い腰をあげて翻訳に取り組みました。

医者たちの「気づき」

 本書は全5章で構成され,その第1章「医者になること/医者であること」では,文字通り,医者になること,医者であることがどういうことかということが主題になっています。そして第2章は「家族」についてです。医者も,自分自身が患者の家族になることがある。すると,今まで気がつかなかったこと,感じなかったことが見えてくる。私自身,自分の母親を亡くしてはじめて,人が家族を亡くす気持ちというのはこういうものかと知ったわけで,それは誠にあさはかなことだったと思います。患者の気持ちや家族の気持ちを理解しているつもりになってうぬぼれていたんですね。実際に経験してみると,違うものだとわかりました。家族の章では,そのような医師たちの思いが非常に正直に書かれています。
駒沢 「医者が気づく」というような感じは,今までの本にはない視点だと思いますが,だからといって感動の押し売りでなく,自然な感じで,たぶん医療関係者が読んだ時に,いろいろな問題の救いの言葉が散りばめられているという印象がありました。
 特に謙虚さを失い,「自分は偉い」と思い込んでしまうことが,いちばん医者が陥りやすい誤りではないかと思うのです。

■日本の医療も変わることができる

医師を養成する仕組みの欠陥

駒沢 僕も,医学生を見ていていつも思うのは,同じ年齢の他学部の人間と医学生を比べると,傲慢な人間が多かったり,「自分は偉い」と思い込んでいる学生が多いということです。
 受験問題を解くことに長けた人が,子ども時代から「偉い」と言われて育っていきますよね。自分は難しい大学に受かったんだという意識で医学部に入学するため,自分を偉いと思ってしまう人が多い。そこが,そもそもの間違いだと思います。
駒沢 医学生にしろ,医師にしろ,医学部の中では自分たちは数少ない特別な存在なのだと思っていられるし,閉鎖的な世界なので,同じ年齢の他学部の学生に比べて幼稚な感じもします。研修医などで現場に出ると,確かに医療は厳しいと思うかもしれませんが,その時点では6年間の甘やかされた生活を経験していますから,自分を偉いと思う意識は根づいてしまっています。
 医学生というのは,別に医師になるために選ばれた人間ではなくて,受験戦争を通ってきただけの人間にすぎないと僕は思っています。
 偏差値が高くて,偏差値の数字がもったいなくて医学部を受けたという人が,かなりいるのではないかと思います。それはまったく意味のないことですね。アメリカの場合,医学部は大学院大学で,4年制の大学を終えて,2-3年の社会経験を積んだ上で,医者になりたいという人が,強い意志と決意を持って医学部に進んできます。もちろん,医学部の側もMCATという非常に難しい学力試験を課していて,一定以上の学力を有する人を選考します。そして,面接試験が非常に重視されています。
 日本で面接というと,1か所に教官が集まって質問をするというイメージですが,アメリカではそうではなくて,面接の日に大学へ行きますといろいろな人に会わされます。いろいろな人と話をして,複数の眼で評価するわけです。さらに大切なのはエッセイで,自分はなぜ医者になりたいのかということをそこでアピールします。
 日米では,医学生の選考の段階から格差がつきすぎていると思います。

変えなければならない「医者は偉い」という文化

駒沢 日本とアメリカで,制度的なところでかなり異なる面があり,それが問題を生み出しているように思いますが,それは日本の医学部がつくられた当時の事情と,アメリカで医学部がつくられた時の経緯が尾を引いているためなのでしょうか。
 それは違うと思います。アメリカも変化してきたのです。おそらく変わるきっかけになったのは,60年代後半から世界中に起こった変化だと思います。例えば公民権運動,人種差別反対運動,消費者運動,そして女性解放運動と,いろいろなことがあの時代にワッと噴き出しましたね。その中で医療も変わっていって,患者の権利を尊重しなければいけないということが医療に根づきました。インフォームド・コンセントも,たくさんの医療訴訟が起こり,判例が積み重ねられてくるなかで定着してきたわけです。ですから,アメリカの医療も,昔は「医者は偉い」という時期があったんです。しかしアメリカは変わった。ほかの国でも変わったと思います。しかし,日本ではまだ「医者は偉い」という発想でやっている部分が残っているのだという気がします。
駒沢 アメリカで定着したインフォームド・コンセントを,日本の文化に馴染むようにするにはどうしたらよいのだろうかということが,日本でも言われています。
 文化的な違いについて言えば,例えばスパルタのような特殊な価値観をもった社会,あるいは戦前の日本の社会,あるいはドイツでナチズムが席巻した時の社会とか,その時々で文化というものは変わるものだと思います。アメリカにももちろん固有の文化があり,変わらない部分もありますが,少なくとも医療に関しては変わったわけですから,日本も変わり得ると思いますし,私は変えなければいけないと思っています。「文化の差異」を理由に諦めてはいけません。
駒沢 日本医療は,アメリカに10-20年遅れていると言われますが……。
 私は,40年の開きがあると思っています(笑)。12年間日本を離れていますので,医療現場の現状は知りません。しかし,医局講座制にまつわる話を聞く限り,何も変わっていないのではないかという気がします。例えば,大学病院で医療過誤が起こった時に内部でカルテが改ざんされてしまうという最近の事件。まだ隠す文化で医療事故に対処しているところがあるわけですから,根のところが変わらなければいけないのではないでしょうか。

医療とは患者から学ぶことの繰り返し


『医者が心をひらくとき-A Piece of My Mind』
(ロクサーヌ・K・ヤング編,李啓充訳,医学書院)
『阪大医学生が書いたやさしい「がん」の教科書』
(松澤佑次監修,駒沢伸泰著,PHP研究所)
 『医者が心をひらくとき』という本の話に戻りますが,第2章「家族」の中で,私がいちばんショックを受けた話は,「母との会話」という作品です。クオリティ・オブ・ライフとは何なのか,いわゆる安楽死――日本では誤解されてセンセーショナルに報道されていますが――,ターミナルケアの問題を深く考えさせられました。第3章は「暴力」についてですが,日本の読者にとって最も馴染みが薄いところで,ショッキングな話が多いと思います。第4章は,「思い出をありがとう」ということで,患者から教わったこと,患者から学んだ医者たちの話です。医療というのは,患者から学ぶことの繰り返しなのだということが再確認できます。特に私が印象に残ったのは,「神様,癌にしてくれてありがとう」という一篇です。癌になった人が,そのことを神様に感謝するなんて,いったいどういうことなんだろうと思いましたが,読んでみるとその意味がわかります。
 第5章「患者の視点」は患者が書いたものです。“JAMA(アメリカ医師会雑誌)”に患者が投稿してきて,自分たちの経験を語っているわけです。本書の編集者が書いていますが,実はここが,医師たちが最も読みたがる,関心を持っているところだそうです。患者がどういう目で自分たちをみているのか,あるいは同業者たちがどうやって患者と接しているのかを垣間見ることができるからですね。

コミュニケーションで皆が悩んでいる

駒沢 “JAMA”に患者さんたちの投稿が載り,それを医師たちが非常に読みたがるということは,医師も患者さんとのコミュニケーションや患者さんの心情に強い興味を持っているということですね。アメリカの医師たちも,そのようなことに悩んでいるということでしょうか。実は,『やさしい「がん」の教科書』を書くにあたって,全国のアーリー・クリニカル・エクスポージャーの学生100人ぐらいと,大学病院の医師に患者対応で困っていることについてアンケートを行ないました。また,癌の患者団体やご遺族の団体にもアンケートをさせていただきました。それを見る限り,どちらもコミュニケーションを取ろうと努力はしているようなのですが,何かうまくいかないものがある。例えば専門用語がわからないことや,どうしても埋めることのできない立場の差があるということだと思います。コミュニケーションがうまく取れずに皆が悩んでいるようです。
 コミュニケーションは大切だと言われ,アメリカの医学部ではコミュニケーション教育には特別に力を入れています。
 『患者の権利』の著者として世界的に知られるジョージ・アナス(ボストン大学教授・法学者,倫理学者)は,大学院の講義で医療過誤の訴訟例を扱っていますが,講義の最後には必ず,「医者はなぜ患者ともっとよく話さなかったのか。話していれば,こんなことで訴えられることはなかったのに」と,口ぐせのように言うということです。
 また,私が,『アメリカ医療の光と影』で「あとがき」に引用した,「インフォームド・コンセントに関する,法的・倫理的神話」という題名の,やはり法学者によって書かれた論文では,「医者が医療訴訟のことを心配するのは当然である。もし訴えられたくなかったら,患者と何度でも話しなさい。インフォームド・コンセントというのはプロセスなんだから,何度も何度も話せば,患者さんが何を望んでいるかがわかってくるはずだ」というような医療者へのメッセージが記されています。
 医者と患者を外からみている法律学者たちが,なぜおまえたちは,もっとよく患者と話さないのかと指摘しているわけです。象徴的なのが『医者が心をひらくとき』の冒頭の作品「1日目」です。研修1日目に,ただ,患者とゆっくり話したというだけで,学生が患者から感謝され,「あなたは絶対にいい医者になる」と言われる話です。患者と話すことの重要性は,強調しても強調しすぎるということはないと思います。

患者は許してくれない?――人間同士が話すことの重要性

 ジョージ・アナスがいつも強調することに,もう1つ,「患者が医者を訴えるのはその医者が嫌いだからだ」というものがあります。結局,信頼関係がうまくつくれていない時に訴えられるということです。
 私は,医療過誤のことを講演する時に,マーティン・メモリアル医療センターにおけるベン・コルブ君の事件を,起こったことのすべてを包み隠さず示して謝罪する実例としてあげます。病院側の真摯な対応の後,医療過誤被害者の家族は「こちらの病院に,今後もお世話になり続けてよろしいでしょうか」という感動的な発言をしています(『アメリカ医療の光と影』参照)。しかし,何か事故が発生し,「これはもめそうだな」という段階になって,あわてて信頼関係を築こうとしてもそれは無理です。平素から「この病院にきてよかった」と思ってもらえていることが,あやまった時に許していただける前提になるのです。事故が起こってから突然,誠心誠意という姿勢をとっても,それまで「俺は偉い」という姿勢でいたのでは通じません。
駒沢 それは社交辞令ではなく,医師-患者関係という,人間関係の中でもかなり特殊な関係においては,真心のようなものを患者が感じることが多いということですね。
 自分の話ばかりで恐縮ですが,母親の時がそうでした。母の件については2つの病院がかかわっているのですが,最初に入院していた病院では,一種のabuseを受けるようなひどい医療を受けていました。2番目の病院で,「本当にいい病院にくることができた」と,母も家族も,みんな喜んでいたわけです。そういった矢先に事故が起ってしまったのですが,誠実に謝っていただいたので,誰も怒る気持ちにはなりませんでしたし,家族の中から訴えるなどという話は一切出ませんでした。
 これは以前,別の場所に書いたのですが,マサチューセッツ総合病院の患者アドボカシー(患者支援室)のサリー・ミラーさんの話をうかがった時に,何が起こったのかを正直に説明して,誠実に謝罪して,同じような事故が起きないようにどのような処置を講じたかを説明すると,驚くほど多くの患者さんが許してくださるということをおっしゃっていました。もちろん,そういうことができるというのは,普段から「ここの病院のお世話になってよかった」と思っているからだろうと思います。
駒沢 私の書いた本の監修をしてくださった松澤佑次先生(前阪大附属病院長)がよくおっしゃるのは,今,日本ではインフォームド・コンセントが「研究」されて,「契約」関係として持ちこまれようとしているけれども,それ以前に,人間対人間の信頼関係をきっちり築くことが大切だということです。
 日本の医学界の批判ばかりしましたが,すばらしい先生ももちろんいらっしゃいます。私の知人でも,患者さんに診断名をお話する時,例えば,若い先生が患者さんに癌であることを説明する時には必ず立ち会うという方がいらっしゃいます。

■患者さんと接し,話すことが医療の原点

教科書で学ぶことと実際の患者は違う

 駒沢さんは,お母様の闘病の過程で,医療のあり方についてお感じになったことはありますか?。
駒沢 僕は,母親が亡くなる時まで,病室には毎日2時間ぐらいいたのですが,医師の姿を見たことがなかったのです。大学に入ると,彼らがナースステーションにはいるのだとわかりましたが,何をしているのかは,いまも十分に理解できていません。治療内容を検討したり,医師1人あたりの患者さんの数が多い中で精一杯働いているのかもしれないのですが,患者と話をする時間があまりに少ないのではないかと思います。
 危ないですね。忙しいから話さないでいいと思っているとしたら……。もっと時間をみつけて話さなければいけないですね。「研修医は1日最低2回は病室へ行け,1回は椅子に座って話せ」これは私が臨床研修を受けた時のルールでした。研修医はいちばん忙しく大変なんですが,それだけは破ってはいけない掟でした。
駒沢 実は,日本の医学部では,5-6年生と研修医を比べて,ものすごいギャップを感じています。「これが1年しか違わない人間なのか」という感じです。病院で患者さんを担当しはじめて責任感の重圧に耐え,また,上からものすごく叱られながら研修をされている姿を見ると,本当に研修医の先生方には頭が下がる思いです。一方で,その一歩手前の5-6年生は,医療を志す者としての自覚も責任も求めらない生活をしているわけです。『医者が心をひらくとき』を読むと,アメリカでは医学部の3- 4年生がチームの一員として患者さんを診ているわけで,日本の医学生とは,トレーニングの厳しさ,患者さんとのやりとりのシビアさがあまりにも違うという印象を受けました。また,厳しいがゆえに,患者さんと共感する部分もすごく大きいわけですね。やはり,患者さんと接したりすることで,やる気とか,使命感とか,覚悟といったものがついてくるのではないかと思います。ですから,早い時期からアーリー・クリニカル・エクスポージャーをして,患者さんとのコミュニケーションだけでなく,医療を志す者としてのモチベーションを高めることは重要だと思います。
 国家試験を受験する前にたくさん勉強をしますよね。いろんなことを知っているはずだと思って研修医になるでしょう? しかし,何もできないんですね。どんなに学生時代に勉強していても,いざ患者を前にすると何もできない。手技でも知識でも,教科書で学ぶことと,実際の患者とはまったく異なるのでショックを受けるわけです。あのショックというのは,私の医師としての原点だと思います。

患者さんからの手紙

 さて,私の訳本はまだ出版されたばかりですが,駒沢さんの本について読者からの反響はどうですか。
駒沢 私はまだ医者ではないのですが,「こういう状態になっているけれども,どうすればいいんだ」というような手紙をたくさんいただきます。出版社に届いた手紙が転送されてくるのですが,ご家族からの質問が非常に多いです。
 いま現在,病気の方のご家族や,亡くなった方のご家族ということですか。
駒沢 現在病気で苦しんでいる方も多いですね。あと,亡くなられそうな患者さんから,「子どもが2人いるけれども,どうしたらいいか」という手紙が来たりします。
 今のお話をうかがっていても,患者をサポートするシステムがないことを感じますね。本当なら主治医と話し合うべき問題と,もう1つ,ソーシャルワーカーが助けてしかるべき問題とがあります。日本の場合は,特に患者さんをサポートする体制が著しく欠けています。病気を診てやっているからそれでいいだろうという感じがありますね。この「診てやっている」という意識は,謙虚さを失った「自分は偉い」という意識と同じことですが,だからその周りのシステムもやさしくはならないのですね。
 駒沢さんにそういう手紙がたくさん届くということは,日本のシステムがやさしくないということを示しているのだと思います。
駒沢 22歳の人間に,なんでこんな手紙が来るんだろうと思いますが,時間のない患者さんが多そうなので,学生なりの立場で,真剣にお返事するようにしています。まだ医学部の3年生で,本当の臨床医学を学ぶのはこれからですが,お話にもありました「患者さんとしっかりお話をすること」,そして「謙虚さを忘れないこと」は,常に肝に銘じていきたいと思います。本日は,刺激になるお話をいただき,ありがとうございました。

  李 啓充氏
1980年京大医学部卒。天理よろづ相談所病院ジュニアレジデント,京大大学院を経て,90年よりマサチューセッツ総合病院(ハーバード大学医学部)で骨代謝研究に従事。2002年4月,ハーバード大学医学部助教授の職を辞し,文筆業に専念。著書に『市場原理に揺れるアメリカの医療』『アメリカ医療の光と影』,訳書に『医者が心をひらくとき』(いずれも医学書院刊)他。本紙で「続・アメリカ医療の光と影」(現在休載中),読売新聞で「医師の目」,週刊文春で「大リーグファン養成コラム」を連載中。
  
駒沢伸泰さん
1980年大阪府生まれ,現在阪大医学部医学科3年。本年7月に松澤佑次(前阪大附属病院長)監修の下で,『阪大医学生が書いたやさしい「がん」の教科書』を出版。